どうもこけけんです!
以前書いた「【世界の軍歌シリーズ】海ゆかば」の記事が意外と好評だったので、今回はその第二弾です。
陸軍分列行進曲などでも有名な軍歌、「抜刀隊」を解説していきます!
どんな曲?
明治初期の士族反乱である、西南戦争において活躍した、抜刀隊という部隊の活躍をたたえるために作られた曲です。
この抜刀隊という部隊は警視隊(今で言う警察)の中から選抜された部隊で、軍の部隊ではありません。つまりこの曲は軍のための曲ではなく、警察のための曲なんです。
他の有名な軍歌と同じように扱われることが多いこの曲ですが、曲の作られた経緯を見ると、少し異質なものと言えるでしょう。
当時の日本人にとっては歌いづらかった!?
作詞は東京帝国大学総長だった外山正一、作曲はフランス人お雇い作曲家のシャルル・ルルーが行いました。
当時の日本ではあまり西洋的音楽が浸透していなかったので、西洋的音階や転調が含まれるこの曲は少し歌いづらかったかもしれません…
それでもこの曲は完成度が高く、非常に人気になりました。小学校の音楽の教科書にも載ったそうです。
「抜刀隊」と「陸軍分列行進曲」の違いは?
とってもざっくり説明すると、最初にできたのが「抜刀隊」。それを元にして作られた行進曲が「陸軍分列行進曲」です。
陸軍分列行進曲は、シャルル・ルルーが、当時の兵部省の依頼で作りました。
依頼以前に作っていた「抜刀隊」と「扶桑歌」をミックスして作った曲で、冒頭部分は扶桑歌、その後は抜刀隊の旋律になっています。
今では陸上自衛隊定番の行進曲になっているほか、各地の警察でも行進曲として利用されています。もともと警察のための曲ですしねー。
歌詞&現代語訳&ポイント
さて、ここからは歌詞と現代語訳(めっちゃざっくり)を見ていきましょう!
ポイントでは私の考察を述べさせていただきます。個人の考えなので必ずしも正しいとは言えません、参考程度にご覧ください。
【★】のところは繰り返しなので2番以降省略します
1番
我は官軍我敵は 天地容れざる朝敵ぞ
敵の大將たる者は 古今無雙の英雄で
之に從ふ兵は 共に慓悍决死の士
鬼神に恥ぬ勇あるも 天の許さぬ叛逆を
起しゝ者は昔より 榮えし例あらざるぞ
【★】敵の亡ぶる夫迄は 進めや進め諸共に
【★】玉ちる劔拔き連れて 死ぬる覺悟で進むべし
【現代語訳】
私達は政府(朝廷)軍で 私達の敵は全てにおいて容赦ない朝廷の敵だぞ
敵のリーダーは 昔から今まで並ぶものがいないくらいすごいやつで
彼の部下達もまた死を恐れない荒々しく強い男達だ
バケモノに匹敵するほどの勇ましさを持っているが 天の神様の許さない反逆を
起こした者たちは 昔から栄えたことはないぞ
【★】敵が滅ぶまでみんな一緒に進もう
【★】宝石のように輝く剣を抜いて死ぬ覚悟で進め
1番のポイントは、「敵をたたえている点」ではないでしょうか?
敵の大将(西郷隆盛)やその部下たちを尊敬しながらも果敢に戦うその姿勢は、まさに武士の心・武士道そのものだと感じます。
2番
皇國の風と武士の 其身を護る靈の
維新このかた廢れたる 日本刀の今更に
又世に出づる身の譽 敵も身方も諸共に
刃の下に死ぬべきぞ 大和魂ある者の
死ぬべき時は今なるぞ 人に後れて恥かくな
【★】
日本の風習と武士の身を守る魂であったが
明治維新で廃れてしまった日本刀を今になって
また使えるとは名誉なことだ 敵も味方も一緒に
刃の下に死ぬべきだぞ 日本人の魂を持った者の
死ぬべきときは今だぞ 人に後れて恥をかくな
【★】
明治維新では廃刀令や四民平等などによって武士の力は衰えていきました。
しかし、西南戦争が起こったことで、武士だった人が再び刀を持って戦えるようになりました。国のために刀を持って戦えるというのは、武士にとって名誉あることだったのだと思います。
3番
前を望めば劔なり 右も左りも皆劔
劔の山に登らんは 未來の事と聞きつるに
此世に於てまのあたり 劔の山に登るのも
我身のなせる罪業を 滅す爲にあらずして
賊を征討するが爲 劔の山もなんのその
【★】
前も右も左も どこを見ても剣だらけだ
剣の山に登るのは、未来(死後の地獄の世界に行ってから)の事だと聞いてたのに
この世で実際に出会い 剣の山に登るのも
自分がした悪い事の罪滅ぼしのためではなく
悪いやつらを討つためなのだから 剣の山だってなんのその(大したことない)
【★】
個人的には3番の歌詞が一番好きです(唐突な自分語り)
地獄のような景色も、正義を貫くため・悪いやつを倒すためならならなんてこと無いぞ!という姿勢が非常にカッコいいと思います。
僕もこんなふうに正義を貫けるカッコいい人間になりたい…
4番
劔の光ひらめくは 雲間に見ゆる稻妻か
四方に打出す砲聲は 天に轟く雷か
敵の刃に伏す者や 丸に碎けて玉の緒の
絶えて墓なく失する身の 屍は積みて山をなし
其血は流れて川をなす 死地に入るのも君が爲
【★】
剣のかがやきは 雲間に見える稲妻のだろうか
四方に打ち出す砲撃の音は 天に響き渡る雷のだろうか
敵に斬られて死ぬ者や 敵の弾にあたって命を落とし
墓もなく消えていった者達の 死体は重なって山をつくり
その血は流れて川をつくる 危険な場所に行くのも君主のためだ
山や川というのは、日本の風景を構成する大事な要素です。また、雷とともに訪れる雨は国土を潤し恵みを与えてくれるものです。
これらと屍や血を重ね合わせることで、日本の風景は多くの人の血と涙で守られてきたのだと感じさせられます。
私達が美しい風景を見られるのは先人達のおかげだということを忘れてはいけません。
5番
彈丸雨飛の間にも 二つなき身を惜まずに
進む我身は野嵐に 吹かれて消ゆる白露の
墓なき最期とぐるとも 忠義の爲に死ぬる身の
死て甲斐あるものならば 死ぬるも更に怨なし
我と思はん人たちは 一歩も後へ引くなかれ
【★】
弾丸が雨のように降ってくるにもかかわらず たった一つの命を惜しまずに進む私の体は
嵐に吹かれて消える露のように
墓のない死をむかえても 国のために戦うのだ
死んだとしても意味があるのだから 死んでもまったく怨みはない
「我こそが!」と思う人は 一歩も後退するな
【★】
「国のため、大切な人を守るためなら、一つしかない命も惜しまない。死んだとしても意味がある。」と歌っています。
では、「意味」とは具体的になんなのでしょうか?その答えは6番の歌詞に潜んでいると私は感じます。
6番
我今茲に死ん身は 君の爲なり國の爲
捨つべきものは命なり 假令ひ屍は朽ちぬとも
忠義の爲に捨る身の 名は芳しく後の世に
永く傳へて殘るらん 武士と生れた甲斐もなく
義もなき犬と云はるゝな 卑怯者となそしられそ
【★】
私が今ここで死のうとしているのは 君主のためでも国のためでもある
捨てるべきは命だ たとえ死体が腐っても
国のために戦った者の 名前は立派に後の世代に
永久に伝えられて残るだろう 意味もなく武士に生まれて
忠義の心もない犬と言われるな 卑怯者と批難されるな
【★】
「君主・国のため、命をかけて戦ったものは、自分の子・孫…その後の世代に永遠に語り継がれて残るだろう。」と歌われています。
つまり、自分が命をかけて戦い、国を守ったことを、後世の人が語り継ぎ、感謝し、手を合わせてくれる。これが5番の「意味」ではないでしょうか?
彼らはこれを信じて戦地に赴き、散っていきました。だとするなら、彼らの死に意味をもたせる事ができるのは、今を生きる僕たちなのです。
映画『硫黄島からの手紙』の中で、栗原中将が総攻撃前に兵士たちに向かってこんな事を言っています。
「日本が戦に敗れたりといえども、いつの日か国民が、諸君らの勲功をたたえ、諸君らの霊に涙し黙祷を捧げる日が必ずや来るであろう。靖んじて国に殉ずるべし。」
彼らの死を無駄にしないために、今の僕たちにできることは何でしょうか?日本人ひとりひとりがこのことを知り、よく考えるべきだと強く思います。
20190721 No.33